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「社会を描く」ことについて─ 『紡ぐ乙女と大正の月』メモ

『紡ぐ乙女と大正の月』について、個人的メモ

 

・社会というものを描こうとしている

 

 私が本作で特に評価している点は、「社会を描こうとしている」というところにある。

 大正時代とは、異世界ではない。間違いなく、100年前の日本の姿なのだ。私や貴方の祖父や曽祖父、祖母や曽祖母が生きていた時代である。決して私たちと無縁ではない。

 作中で起こる山場一巻で言えば唯月の父との確執であり、二巻では雪佳との和解は何に起因するのかと言えば、それは全て当時の社会倫理、社会制度である。作中で度々語られる通り、華族の女性に生まれた唯月の運命は既に決まっている。女学校を卒業すれば他の華族の男子と結婚しなければならない。

 現代から来た紡そして私たちから見れば、こんな世界は明らかに理不尽で、間違っている。パッと目につく限りでも婚姻の自由、職業選択の自由、発言の自由等、今私たちが当然に享受している権利というものが全く認められていないのだ。しかし、そんな当たり前が無い世界こそが100年前の日本の姿「大正時代」の姿なのである。

 私が本作に誠実さを感じるのは、この時代の特徴を「問題」として描いている点だ。上記のような社会で、唯月や旭は間違いなく虐げられ、苦しんでいる。一見絢爛な華族の令嬢という身分も、その内実は決して美しいものばかりではないのだ。繰り返すが、これは異世界の話ではない。100年前、彼女たちと同じように身分に縛られ、自由な相手と結婚することの出来なかった令嬢は少なからずいたのだ。果たして私たちは、それを「そういう時代だから」で片付けてしまっても良いのだろうか?

 何故彼女たちはこのように苦しんでいるのか?どうしてそんな目に遭わなければならないのか?彼女たちの敵があるとするなら、それは制度であり社会であり、そして社会を構成する人々である。一個人の思想の自由は、社会によって容易に押し潰されるのである。

 「創作物は常に社会への批評性を伴うべき」とは思わない。しかし、社会への批判とは決して易きことではない。当時の社会が抱えていた問題を描くというのは、その社会が成立した歴史的背景や思想、そして社会を構成する人々を誠実に描くことによって初めてできることだ。社会の中で弱く、小さくされた人々の声を歴史資料から掬い上げ、作劇として構成するというのは誰でもできることではない。それは参考文献を調べたりといった技術的な面でもそうだが、「当時生きていた人々を描く」という人間に対する誠実さの面でもそうである。

 はっきりいって、歴史物で社会的弱者を描かないことや社会の抱えた問題を描かないことなど幾らでもできる。美化しようと思えば、限りなく美化するということはできるのだ。勿論それも歴史を扱った創作ではあるが、そこで描かれる社会というのは当然作者にとって都合の良い背景に過ぎず、薄っぺらい、リアリティの無いものになるのは避けられないだろう。

 「当時はそれが当たり前だった」と言い切ることは十分可能だし、実際同じようなことを言う人はいる。しかし、その「当たり前」の下で傷ついた人がいるのだ。私はその人たちのことを思うと、「当たり前だった」で無邪気に時代を全肯定することなどできない。

 

 人に対する誠実さと緻密な下調べという点において、私は本作『紡ぐ乙女と大正の月』を高く評価している。「華族令嬢の日常」を描くうえで、華族という現代には存在しない特殊な身分制度、そしてそれが存在する社会を描くというのは避けては通れないことであるし、上で述べた通り社会というものを描いている本作は優れているように思う。

 

 我々は当時の倫理観に大なり小なり理不尽さを覚え、「当時の制度が悪い」と思う。では何故「悪い」と思えるのか?もし手元に高校の日本史の教科書があれば、近代のページを開いて見てほしい。そこには平塚らいてうや全国水平社運動など、当時の人々の活動も載っているだろう。格好の良い言い方をすれば、歴史とは変えようとする人々の意志や活動の積み重ねでもあるのだ。今我々が手にしている基本的人権や選挙権にしても、どこからともなく降って沸いたようなものではない。それが無かった、認められていなかった時代が確かにあって、そんな社会を「おかしい」と言い、自由や尊厳を求めて運動し、当時の社会や人々と戦って勝ち得たものなのだ。

 もし貴方が本作を読んで少なからず理不尽さを覚えるのであれば、同時に今との積み重ねに想いを馳せて欲しい。今我々が手にしている諸権利は、人が勝ち得たものであると同時に、失わないようにしなければならないものなのだから。

 そして当然ながら、今も社会によって虐げられている人は存在する。男女間の格差に関しても雇用問題や賃金問題、さらに言えば家父長制の問題も根強く存在しているし、性的マイノリティに関しては言わずもがなだろう。これらも全て過去から引き継がれ、そしてそれを是正するために運動している人々がいる。それは決して忘れてはならないことだ。

 

 さて、連載では上で言ったような問題の核心、「唯月が華族の令嬢という運命に苦しみ、紡がそれを突きつけられる」という点に触れられ始めたように思う。編集部の都合とかメタ的な視点は置いておくとしても、おそらく三巻の終盤にあたるこの問題、正直どう解決というか答えが出るのか、いまいち予想ができないでいる。ここでタイムスリップとか関東大震災とかを絡めるような気がしないでもないが、ともかく静観したい、としておく。

 

 勿論本作の魅力はこればかりでは無いが(軽井沢に行く回が個人的には好きである)、今回はその話はしない。改めて書く機会があればまた触れたいと思う。