近況─コミティア初参加しました
結構前になりますが、コミティア144にサークル参加しました。
実はこれについては既に自分の中で色々メモ帳に書き留めてあるので、ブログに改めて書くべきか迷っていました。
振り返りをすると全体的に内省的なことばかりになり、自分以外の人が読んでもあまり面白いものにならないのではないか。
また言葉だとあんまりにも率直に、あけすけに心境を語るようになってしまうので、レポ漫画という体にした方がソフトに語れるんじゃないか。
等々思うところは色々あるので、思ったこと書き留めたこと全部をここに載せることは控えます。
ただ、率直に話した方が良いことというのは勿論あるので、ブログではそういう話をしたいと思います。
まずは、来ていただいた皆様、ありがとうございました。
こんなインターネットの場末のアカウントの、海のものとも山のものとも知れぬオリジナル漫画を手に取って頂けたこと、感謝してもし切れません。
当日、ジャンル「その他」という極めてアウェーな場に自分の席を見つけた時は「本当に大丈夫なんだろうか…」と気が遠くなったことをここに告白します。
日頃「見られること、手に取られることが全てではない」と構えていても、いざ即売会という場に立った瞬間は、やはりどうしようもなく怖くなります。
元々人間関係が全く得意ではなく、人の目を見て話すことすら覚束ない人間が、何故こんな人のひしめく空間に来てしまったのだろう、と後悔もします。
そんななので当然売り子を任せるような友人も無く、ただ座って何かを待っているしかない時間というのは、一人の人間には果てしなく長く感じるのです。
(あと朝6時起きでバチバチに緊張している都合、疲労も溜まっていました)
ビッグサイトって本当に広いんだなあ…と天井を眺めながら考えていました。人生であの時ほどビッグサイトの広さに不安と孤独を感じた瞬間は無いでしょう。あの時ほど天井を真剣に眺めたことも無いでしょう。
この広い会場に唯一人で来てしまったんだなあ、と何度も思いました。
そんな孤独なサークルに足を運び、本を手に取って頂けたという事実に、時が経つにつれて「本当に素晴らしいことなんだな」と改めて感じ入っています。
何人かTwitterで顔見知り(?)の方にも来て頂きました。あんまりちゃんとご挨拶できた自信が無いのですが、すごく嬉しかったです。Twitterの絆、あったけえ…
本当にありがとうございました。
当日とか翌日とかはバタバタしていてそんなに感情がついてこなかったのですが、数週間経つと「実は本当にすごいことだったんだなあ」と実感が出てきました。
また本作ってサークル参加したいぜ….!
面白いと思って頂けるようなものが作れたのか、は分かりません。そこまで言い切れるほどの自信は、今の自分にはありません。ああした方が良かったな、とか、もっと上手くやれたな、とかは沢山あります。
だからこそ、次は今よりももっと良いものを作れるようになりたい…そう強く思っています。
今の自分にとって同人誌の制作とは、例えるのなら長距離走のようなものです。
今回の本はざっくりと26ページ弱作画をしました。
このページ数を今の自分の能力でこなそうと思うと、どう頑張ったとて一月はかかります。
構想も含めれば、二ヶ月はかかるでしょう。実際、今回はその位かかったと思います。
言わば、二ヶ月の間一つの製作物にかかりっきりになる訳です。
申し込んでスペースを貰った以上、「面白くないかもしれない」「今回はやめておこう」と言って逃げる事はできません(無論やむを得ない事情なら致し方無いとは思います)。
二ヶ月の間、ただひたすら、果たして面白いのか、手にとって貰えるのかも分からないものに時間と労を注ぎ込み続けることになります。
そういう果てしなく長い道のりを経たからこそ、当日直接搬入された印刷物に安堵と達成感を覚えられたし、誰かに手に取って貰えたことに喜びを感じられる。
だから、今は「コミティアで本出して良かったな」と振り返ることができているし、次はどんな本を作れるのかな…と考えられています。
作品の中身については、気が熟したらまたどこかで喋ろうと思います。
……それはそれとして売り子はいた方がいいです!!!マジで!!!
「よん文の時も一人だったしまあええやろ」とか思ってたけど、コミティアは時間が長い!一人だと座っている時間が滅茶苦茶長い!結局15時で撤収したし…
折角東京来たのに撤収後にしか回れなかったし……
あとサークルチケット一枚みすみすドブに捨てとるんだが、誰かに融通した方が良かったんと違うか???となった。
…まあそれは次回以降の課題、ということで。。。
何とかしたいね〜……
他、面白く話せる感じの反省は…ポスタースタンド買えや!とか?
(前日に描くもコンビニでB4で印刷してしまったが為に無理矢理据え付けてた)
今見たらAmazonで1000円もしなかった。というかこれバイト先にあった奴か…
今度なんかに参加する時は絶対に持っていきます。
釣銭用のトレーを適当なフタで代用したら半分くらいの人に気づいて貰えなかったので、これも次回までにそれっぽいのを調達してきます。
(ちなみに去年のよんこま文化祭ではコピー用紙で折った箱をトレーにしてました。馬鹿?)
あ、あと差し入れ頂きました。
人生初差し入れです、ありがとうございます。
人からの好意は遠慮なく頂くタイプなので、有り難く頂戴しました。
通販に関しては、今すぐどうこう、という予定は無いです。何せ全く未整備なので…
ただ意欲はあるので、いずれ整えてやりたいと思います。
やるとしたらboothを考えてます。
それなりに残部があるのでまた折を見てどこかに持っていきたいですね。個人的には新刊と既刊が並ぶスペースに憧れがあるので。
とはいえ今後既刊が増え続けたらいずれキャリーケースを引いていかなきゃならんのでは…?とかもぼんやり思っています。杞憂かなあ
これと関連して、ブログもpixiv傘下のファンボに移行しようかなー…と画策中です。
「マネタイズするんか!?」という感じですが…これも未定です。多分よっぽどの事が無ければしないと思います。ブログの機能だけこっちに移管したいな〜って感じです。
折角ならpixiv・ファンボ・BOOTHの横一列で管理したいな〜という気持ちがあるので、気が乗ったら整備していきます。
今後の予定は…ざっくりとは今回のあとがきに書いたので、そんな感じです。
正直かなり金銭的に厳しいのもあり、よんこま文化祭までは自分でサークル参加することは無いと思います。お金、というか安定が全く無いので…
その分細々と描き続けて鍛えていきたいですね。
強くなりて〜
あと帰りに国際展示場駅で蕎麦食って帰りました。
東京の割に安いし美味いし、何より食券買ってから出てくるまでが滅茶苦茶早い。
冷たい蕎麦だったからというのもあるんだろうけど、外で券買って店内入って座ったらもう出来てた。今度からはここで飯を食おうと思う。
大体同じ理由で東京駅の天丼屋が好きですね。
概ねこんな感じです。
本当はかみねぐ2話の感想とかも書きたいけど、ちゃんとやりたいので追々。
しかしいざブログを書き始めると、写真が全く無いのが困る…カメラの性能が優れたiPhoneに乗り換えるべきか。
かみねぐしまい 1話感想
・改めまして…はい。本当に初読は朝の5時だったので擬似的な初読感想になりますが。
色々あり過ぎて…色々あり過ぎて、多分忘れないと思います。
みんなもやっとる初読感想、わたくしもやらせて頂きます…
・カラーページ。色合いがシックな感じで良。と思ったら殴り合っとる
ここ、後のページだと「まえなさんの方が運動神経が良い」らしいのですが、ツギノさんの拳の方がしっかり入ってません…?それともまえなさんのグーはもう入った後…ってこと?
ともあれ中学生っぽい感じの仲の悪さで面白いと思う
・ツギノさんとまえなさんね。覚え…頑張って覚えます。ツギノさん、お名前がカタカナなのが好きですね。音の鋭さがあって(?)
まえなさん、若葉谷セツナに続く髪の毛ふわふわ族…!よく見るとスカーフがややだらしない。
二人ともジト目多めなのだろうか。
・「なあ!?」のお顔、良。どこだったかは覚えてないけど、先生の他の作品でも見たことがある気がする。「は?新学期〜」のジト目も。
・多分4月の川は冷たいよ…と思ってから作中季節と現実の季節がリンクしていることに気がつく。確かぎんしおもそうだった気がする。姉妹なので距離感ゼロなやり取りがちょっと新鮮な感じもありつつ、実は中学生というのは今までの連載作では無かったのでは?という気づきがありつつ。中学生ってどのくらいの距離感とか雰囲気だっけ?もう思い出せないよ……
・「どうしよ お姉ちゃ…」当然良い訳ですが…。あとここ数コマの表情も新鮮な感じがあって良。
子供を掬い上げる時の水飛沫の表現、ダイナミックな感じがあって良い。
・「「ありがと……」」
子供の扱い慣れてない感じのツギノさん。このわちゃわちゃしたやり取りの感じが四コマと合ってて面白い。
・「とりあえず警察…」展開的にはこの子を居候させることにはなるんだろうなあ、と読めつつも即警察を思い当たる会話の温度感。
え、これなんかそういうオカルティックなはなしなんですか?前作前前作の予習が通用しないパターン入ってるね?
あと勘違いだったら申し訳ないんですが、その形状のポットって上のボタン押してお湯出すヤツじゃありませんでした…?傾けるやつだったっけ…?
・先月号の予告だと「絵柄がちょっと変えられました…?」となったのですが、いざ読んだら滅茶苦茶変わったという感じも無かった。なんでそう思ったのだろう。
ぶどうパン、かわいいね…。実は先生の描かれる幼女、滅茶苦茶可愛いのでは?
「わたし かみ様」ひらがなかわいいね 瞳がきらきらしておられる
・遮断!?そんな能力バトル的なことが!?
脳内でリアリティライン見極め委員会の発足を確認。
…そんなこんなで1話。ひじょうに面白かったです。
まあまだ1話なので全体像も何も…という感じですが、前作前前作はかなり1話でテーマに踏み込んでいたようにも思うので、今作は縦軸的なものを重視しているのかなーとか。
・今後の予想
予想も何も無いよ!ともあれこれからどう転がってくのか全然予想は出来ないですね。
良い意味で今後が非常に楽しみです。
孤独と痛みの先へ─『ぼっち・ざ・ろっく!』『グミ・チョコレート・パイン』比較感想
『グミ・チョコレート・パイン』という小説をご存知だろうか。
大槻ケンヂが書いた青春小説である本作であるが、実は今話題の『ぼっち・ざ・ろっく!」とかなり親和性が高い。どちらも高校生の物語であるし、バンドを組もうとする点でも似ている。実際、私もどこかで「ぼざろ見た人はグミチョコを読んだ方が良い」との話を聞いたので読んだ口である。
読んでみた率直な感覚としては、「確かに同じテーマを扱っているはずなのに、語り口が対局にある」といったところで非常に興味深く、折角なので考えたことをブログにまとめたいと思った。
という訳で本記事では『グミ・チョコレート・パイン』の感想をぼざろと比較しつつ話していく。
(雑語りと言われるのも癪なので、一応ぼざろは原作最新話まで読んでいる、という旨をアピールさせていただく)
・後藤ひとりと大橋賢三
まずは本作のスタート地点、主人公について見ていこうと思う。
グミチョコの主人公・大橋賢三は、いつもクラスの隅で誰とも喋らずに座っている高校生。親から貰う昼飯代を削って名画座を回り、その感想をひたすらノートに綴っては「俺は他とは違うのだ」と一人孤独に嘯いている。そして、同じような立場の友人であるカワボンとタクオと管を巻いて「いつかでかいことを成し遂げてやる」と息巻いてはいるが、しかし何をしたら良いのかわからない…そんなところから物語は始まっている。
賢三と『ぼっち・ざ・ろっく!』後藤ひとりの境遇はよく似ている。後藤ひとりも賢三と同じようにクラスで孤独な高校生であるし、「バンドを組みたい」と願いながらも踏み出せずに中学三年を無為にしている。おそらくぼざろ視聴者にグミチョコを勧めた人も、まずこの点が頭にあったであろう。
しかし、実は賢三とひとりの抱える鬱屈は対極にあるのではないか?と私は思うのだ。確かに後藤ひとりと大橋賢三は、一見同じような境遇で同じような悩みを抱いているかのように見える。ひとりも賢三も、人前でチヤホヤされたいと願っているし、他者から承認されたいと心の底で思っている。
では二人が決定的に異なる点とは何か。それは、後藤ひとりが抱かなかった「他者へのマイナス感情」を大橋賢三は山ほど持っている、という点だ。
後藤ひとりは作中一貫して他人を蔑まない。陽キャやパリピへの偏見はあるが、それは「自分は彼らと違う人間で、馴染むことができない」という自分への卑下に繋がるものでしかない。「陰キャだから」「コミュ障だから」と自分を蔑み、それによって自己の境遇を納得させる。後藤ひとりは自虐によって自己を守っているのだ。
一方の賢三はひとりとは異なり、積極的に他人を蔑むことを選んだ。あいつらは自分を虐げ、笑っている。それはあいつらが劣っているからであり、自分の価値が分からないからに他ならない。だから、自分がクラスという社会で認められないのは仕方がないし、燻っているのも納得できる。そうして自分を取り巻く世界を憎むことで、賢三は自分自身を守っているのだ。
さらに違いとして挙げられるのは、「自分は何者であるか」という悩みの有無にある。
後藤ひとりは、「自分が何者であるか、何を成せるのか」なんてことではおそらく悩んでいない。それはギターヒーローとしてそれなりの裏付けがあるのも当然考えられるし、また「自分はギターで食っていくより他に道はない」と決めて高校中退を夢見ていることからも推察できる。後藤ひとりの場合、目標がはっきりしている上に自分の才能も自認しているのだから、「バンドを組めるか否か、音楽で成功するか否か」と悩んでも「自分が何者であるか」なんてことでは今更悩もうにも悩めないのだ。
では大橋賢三はどうか。
賢三は同年代の中では沢山映画や本を見聞きしているし、「自分は人とは違う」と思い込んでいる。
しかし、それだけなのだ。思い込んでいるだけに過ぎず、自分がどんな分野で大成できるのかも分からない。だから、一体何に注力すれば良いのかも分からない…そんな状態なのだ。なので、「自分は何者であるのか」と頭を悩まし、足踏みばかりを続けている。そして「もしかすると何もないのではないか」という恐ろしい現実を直視することを避け、何となく時が過ぎるに任せている。
「後藤ひとりは既に持っている人で、大橋賢三は真に持たざる人だ」という話がしたいのではない。ひとりも賢三も、鬱々とした場所から抜け出して活躍したい、という点では共通しているし、それが作品のテーマの一つとなっていることは疑いがない。
ただ、私はどうしてもこう思ってしまうのだ。
「賢三は俺だ、俺なんだ…!」と。
周囲の世界を恨み、自分は人とは違う、人にはない何かが確かにあるはずだと信じずにはいられない賢三を見ると、私はどうしても他人事とは思えずに共感してしまう。かつて自分も教室の隅で小さくなっていた時、クラスで騒がしい人々を恨まなかったか?自分の方が価値あることを知っていると一度たりとも自惚れなかったか?「自分が孤独なのは周囲の環境が悪いからだ、自分の価値が分からないから友人ができないのだ」と思い込まなかったのか?
私の場合、全て嘘だった。他人を妬み、僻み、周囲を下げることによって自分を守っていた。今ならそんなことに価値が無いと分かるが、当時はそうせざるを得なかった。そうしなければ、一言も喋らずに日々を過ごす自分を正当化することができなかったから。
一人が苦しかったし、辛かったし、自分には見えない価値があるんだと信じたかった。
そんな惨めな苦しみ…言ってしまえば全然見栄えのしない感情に「お前だけじゃない」と寄り添ってくれたのは、やはり『グミ・チョコレート・パイン』の大橋賢三だったのだ。
繰り返すが、こんな苦しみは滅茶苦茶格好が悪く、死ぬほど惨めでダサい。共感できない側からすればただただ不快に映る可能性の方が高いし、描くことによって得られる加点は少ないだろう。もし仮に後藤ひとりが他人への愚痴を垂れ流すような人物であったのなら、ぼざろは今ほどの人気を得ていたとは思えない。実際、「ぼっちちゃんは周囲を恨まない優しい子だから好きだ」という感想もいくつも見た。私もそう思う。
だからこそ、人前では言いづらい澱んだ感情を「大橋賢三」という人物を描くことで克明に映し出してくれたグミチョコは偉大であると思うし、少なからず「俺だけじゃ無いんだ」と救われた人はいたと思う。
・転がり落ちる賢三
物語の展開も真逆である。
後藤ひとりは道中色々ありつつも、作詞や初ライブ、文化祭ライブと順調に課題をこなして実績を積んでいった。明確に挫折らしい挫折といえば未確認ライオット位なもので、それも事務所入りという次に進む糧になる挫折であった。道のりはともかく結果だけ見れば、かなり順調にステップを踏んでいると言えるだろう。
では大橋賢三はどうか。賢三は作中、あらゆる試練に対して一貫して負け続ける。上中下巻かけて、徹底的に挫折し続ける。
折角4人でバンドを組んだものの、楽器が弾けなければ機材にも明るくなく、作詞を任されるも後から加入した山之上に才能で劣ることを自覚させられる。
居場所を見つけられずに焦り苦しむ賢三。追い討ちをかけるように、初恋の人であり憧れの人である山口美甘子がアイドルと性交に及んだスキャンダルが耳に届く。
その瞬間に賢三の心は根元からポッキリと折れてしまうのだが、その際の描写が生々しい。衝動的に窓から飛び降りて学校から走り去ったかと思えば、仲間達を前に「自分が美甘子で自慰をしたからアイドルとセックスしてしまった」と妄言を放ち、その後ショックで一月の間部屋で引きこもってしまう。完全にうつ病である。
一介の少年に対し、あまりにもあまりな仕打ちではある。しかし私は、ここまで徹底して賢三を追い込むことによってのみ、賢三が自身を守っていた「自分には何か分からないが才能があるはずだ」という仮初の盾を壊すことができるのだと思う。
賢三が抱いていた「何者かになりたい」という願いは、「実は自分には何もない」ことに対する恐怖の裏返しである。何者にもなれないとは、自らの存在に価値がないことが白日の元に晒される恐怖である。それまで散々「自分は他の連中とは違う」と自らを守ってきた仮面が剥ぎ取られてしまう。試され、ジャッジされ、堂々と「お前は何の才能もない無価値な存在で、今まで馬鹿にしてきた連中と同じかそれ以下だ」と言われる。賢三のような人間にとってそれは、自らと向き合うことに対する恐怖に他ならないのだ。
ならば、この恐怖の根幹とは何か?
それは恥だ。自分は本当はこんなもんじゃない、もっとやれるんだ、そういう気持ちの裏には「現在の自分はみっともない」という恥の意識がある。自分が認められない、人前に出ることができないという恥である。
そして、この恐怖や恥に寄り添うのは至極難しい。というのも仮に「いやそんな事はない、お前にも価値はある」と言ってくれる心優しい人々が現れたとしても、当事者からしてみればそれは「持っているものが持たざるものに見せる哀れみ」としか映らないからだ。本当に共感してくれているわけではない。同じ立場ではない。だからより孤独だし、自分を哀れに思ってしまう。賢三もそうだ。仲間であるカワボンやタクオがどれだけ心配したところで、彼らにはバンドの役割があり、賢三にはない。それが余計に賢三を追い込み、苦しめる。
「仲間がいるから」とか「ありのままの自分で良い」なんて現状を肯定するような言葉では、賢三の肥大化したコンプレックスは解消しようが無いのだ。それを解消する為には、彼の抱える「才能が欲しい」とか「いつか美甘子に追いつき、振り向いてほしい」という執着を捨て去り、視野狭窄に陥った自分自身を否定しなければならない。その為にも賢三は、一度己のコンプレックスと徹底的に向き合い、自分がどう生きたいのかを問い直す必要があったのではないか…と私は思う。
賢三が如何に自分の苦しみから脱し、どんな結末に至ったのか…というのはここでは書かない。が、絶望の淵からの彼の再起に深く共感し、「俺も頑張るよ、賢三…」となれた事だけは書いておく。かなり破茶滅茶な道のりの末に感動させられるので、未読の方は是非。
・ぼざろとグミチョコが語るもの
ではこの二作が描こうとしているのは全く別のことなのか。
いや、そうではない。
それまでの人生が鬱々としたものだった後藤ひとりは、自分から一歩ずつ踏み出すことによって「バンドを組みたい、チヤホヤされたい」という夢を叶えていく。それは当然、ギターを練習してきただけではない、他人とコミュニケーションを取ることによって自分の世界が広がっていった結果である。
無論、ひとりもその過程で全く失敗を経験していない訳ではない。虹夏とリョウとの初ライブは実力を発揮できずに散々な出来であったし、喜多ちゃんを上手く誘うこともできない。その度にひとりは傷つくが、それでもまた立ち上がっている。失敗する痛みを覚悟の上で、ひとりは世界に挑んでいるのだ。
そんな広い世界への挑戦が『ぼっち・ざ・ろっく!』では描かれていると私は思う。
グミチョコも同じだ。高校のクラス、仲間内という狭い世界に閉じこもっていた大橋賢三は、山口美甘子やバンドも結成をきっかけとして外の世界に目を向け始める。ぼざろが決定的な失敗をしない場合であるのなら、グミチョコはその逆。バンドでも恋愛でも滅茶苦茶に挫折を繰り返して傷つき、一時はどうにもならないほどに落ちぶれてしまう。
それでも賢三は再び立ち上がり、自分の殻を打ち破って世界に挑戦することを選んだ。どれほど絶望し、もうこれ以上落ちようがないところまで落ちてからでも再起し、走り出す。グミチョコもまたぼざろと同じ、外の世界へと挑戦していく物語なのである。
だから私は、2つの物語が同じことを描いているのだと思うのだ。
自分の殻に篭るのを止め、傷つくことを覚悟で外の世界に飛び出していく。
叩きのめされるかもしれない。二度と立ち上がれなくなるかもしれない。
それでも、自分というものが何なのかを知る為、世界に試されにいく。
青春とは、小さな世界から飛び出していくことと、挫折を乗り越えていくこと。
まさしく「凍てつく世界を転がるように走り出した」なのではないだろうか…と『ぼっち・ざ・ろっく!』と『グミ・チョコレート・パイン』を読んだ今、しみじみと思う。
余談になるが、物語序盤の大橋賢三をズバリ歌っている曲として筋肉少女帯『蜘蛛の糸』があるので、是非聴いていただきたい。
「くだらない人達の中で、君はどうして明るく笑うの」
という歌詞の一節をグミチョコ作中に見つけた時は、思わず「これ『蜘蛛の糸』じゃん!!!」と叫んでしまった。その位同じテーマを歌っている…というかもう『蜘蛛の糸』の小説化と言ってもいいかもしれない。まあどちらも大槻ケンヂ作なので当然なのだが。
自分をとりまく薄暗い世界に絶望しながらも、「背中ごしに笑うあの娘 あなただけはとても好きだよ」と光を見出してしまう一節が悲しく沁みる、大変良い歌である。
筋肉少女帯で他に私が好きなのは『機械』『あのコは夏フェス焼け』『僕の歌を総て君にやる』とか。自分自身がダメ人間なので、そういう人間が頑張る歌が好きなのかもしれない。
同人活動2022
同人活動2022
こんな記事書く前に原稿をやれ…!とは思うが、備忘録的に書きます。
「描いている時何を考えていたか」とか「今の自分はどう思っているか」とか、裏側というよりは制作背景を書き残しておこうと思う。
・これまでの経歴
どこかでコピー本を二回ほど出したことがある。ただそれも3、4年前だしほぼほぼ初めてと言っても過言ではない。
今年出したもの
・合同誌寄稿
・個人誌1冊
・合同誌寄稿
時系列的に言えばこの寄稿した漫画の方が描いたのが早いので、こちらの話から。
企画されると聞き、「我こそは」との思いで手を挙げて参加させて頂く。
表明時点で実のところほぼ漫画描いた経験が無かったのですが、「己はやればできる人間だ」と全く無根拠な自信を持っていたので大丈夫だった。(結果、何とかなる)
内容について。
「内容で負けたくない(何に?)」と気張った結果、「青野林檎について」という仰々しいタイトルを真っ先に思いつく。
(「佐伯沙耶香について」っぽいな…と当時も思った。内容的にもパロディのつもりはあまりないです)
それから没にしたりしなかったりして、なんとかネームを作る。
「青野林檎に関する真面目な話を書きたい」という最初のコンセプトは終始一貫していたので、描いていく過程でそこがブレなかったのは個人的に良かったと思う。
ただ実際、それが上手く伝えられたのか…と問われるとちょっと不安でもある。
自分はとにかく筆が遅いので、描いている途中で考えが変わり、最初のネーム(下書きっぽいやつ)から大幅にずれていくことがままある。
そうやって二転三転させながら原稿を進めていくと、だんだん「これ、本当に面白いのか?」という疑念が沸々と湧き出てくる。
湧き出てはくるが、もう随分とペン入れも進んでしまっているので大筋に関しては修正のしようが無い。
ええいままよ、という勢いで最後までやるしかないのだ。
だから、出来上がったものが面白いか否か…というのはもはや自分では判断ができず、読んだ人に委ねるよりほかないのである。
「面白くなくても良いじゃん」という内なる声も聞こえる。
同時に、「面白くなかったらどうしようもないだろ!」という叱責も聞こえる。
色々悩んでしまうのである。
とはいえ「私の漫画、どうでした!?」なんて他人に尋ねて歩く度胸もないので、真相はあやふやなままに終わりそうだ。
自分で半年前に描いた原稿を読み返してみると、「こいつ中々やるじゃん」という箇所もあれば「オイオイ、今ならこうはしないよ〜」という箇所もある。
あれから個人誌を経ているので自分の能力も相応に上がっており、改めて見て自作の粗が目立ってしまうのは必然であり仕方がない。仕方がないからこそ、今できる精一杯をぶつけなければいけないのである。
文字の大きさがデカいんだよ…ッ
それはそうと…
こんな錚々たる執筆陣の末席に加えて頂けたこと、誠に光栄なことである。
改めて感謝。
コミケで直接頂いたので、ゆっくりと拝読しようと思う。
・個人誌
9月19日(だったかな?)のよんこま文化祭で出した本。
人生で初めて印刷所に依頼し、ちゃんとした形式で本になった記念すべき一冊…なのだが、
「記念すべき一冊が成人向けで良いのか!?」という気恥ずかしさと疑念が今もある。
でも同人誌ってそういうものじゃん?それはそう。
実は6月くらいにネームは一通り出来ていた。
なんで成人向けのネームが切れたのか…は分からない。どうして切ろうと思ったのかも分からない。
動機も経緯も全然分からないが、「成人向けを描いてみたい」という気持ちがあったのは確かだと思う。
あと「己が読みたいから」はあった筈だ。
そこから9月のよんこま文化祭に向けて細々と原稿を進め、なんとか脱稿。
途中でペン入れをやり直した箇所がかなりあるので、ページ数の割に随分と手間暇をかけてしまった感はある。
自分の中で「どうせ成人向けを描くなら日和って中途半端にせずに描き切りたい」という思いがあり、とにかく注力出来るところは注力した。
そんなこんなで、内容としては今でもベストを出せたな…と満足しているし、後悔のようなものはない。
以下反省点
・「前振りが全然なさ過ぎる」
いくらなんでも行為の前の前振りがなさ過ぎるという問題に気がついたのはかなり終わりの方になってからで、如何ともし難かったので急遽4ページ足して日常成分を補完。これがファインプレーなのか蛇足なのか、はたまた焼け石に水かは分からないが、自分としてはそこそこ満足している。
極端な話、成人向け同人誌は話がオチなくても行為が最初から最後まで済めばオチた感が出るが、足せばキャラの掛け合いによる旨味が増えるとは思うのでなるべくあった方がいい…はず。
タイトルから逆算してオチを考えたのか、オチから逆算してタイトルを考えたのか、今となっては覚えていない。それくらいコンセプトが薄い本になってしまったのではあるが、まあそれはそれとして良い本にはなったと思う。
・即売会問題
「別に売れなくてもいーじゃん」と開き直った態度を終始していたが、内心「売れなかったらどうするんだ…?」と戦々恐々していた。
ツイッターとかで「同人誌 売れない」とか滅茶苦茶検索したりした。
今から思えば、「同人誌を作ること」と「即売会で売ること」は別々の意味を持った行為なのだと思う。作りたいものを作ったとして、それが他の人から求められているかとは別の話なのだ。即売会に出る以上…手に取ってもらうことを欲する以上、それに応じたものを作らなければならない。
同人活動に失敗も何もない!という意見は分かるが、それはそれとして手に取られないことに対するつらさは間違いなくあって、数年前中途半端なコピー本を出して全然手に取ってもらえなかった時は本当に辛かった。でも当然だったとも思う。そういうものしか作れなかったのだから。
結果から言えば、刷った分の半分以上は手に取ってもらえたので良かった。お手にとっていただいた皆様、本当にありがとうございました。こうして良い思い出として回想できております。
別に他人に手に取ってもらえることが面白さの保証となるなんてことは全く無いのだが、期待込みでそう見えることが大事なんじゃないか…と分析している。
0か1かで、1であることが自分にとっては重要なのだと思う。
部数というよりは手に取ってもらえたという事実で結構満足したので、電子版とか通販はやっていない。残部が少しあるので、またどこかに持っていくとは思いますので何卒。
・同人描きとしての成長?
これからそういう観点について考えるべきなのか…と時折悩む。ポスター作れ!とか敷き布ちゃんとしろ!とか…そういう努力をすべきなんだろう。その点は正直全然努力が足りておらず、9月には前日くらいに100均で買ったよくわからんテーブルクロスのようなものを敷いていた。流石に改善すべきか…とやや反省。
「自分は部数云々とかいう場所では戦わない」と予防線を張っている己がいる。いつかこの自分と相対する日が来るんだろう、と思う。
あとアナログでなんか描けるようになると色紙とか描けて良いな〜と思ったので緩やかに試していこうと思う。
9月の時はシャーペンのみで色紙を描いた。結構可愛く描けたと個人的には中々満足しているが、あれはどなたの元に行ったのだろう…
内容に関して…色々反省も多いが、伸び代と捉えておく。
何ヶ月か経つが、異常な気恥ずかしさから未だに自分の作った本を直視出来ない。
一年位経ったら直視できるようになるのかもしれない。
色々思うところはあるにはあるが、自分が頑張ったから一冊の本が出たのでそこは素直に褒めてあげたい。
総じて見ればプラス評価…と捉えておく。
そう思ってチラッと今見返したら反射的に「しんだほうがいいよ!!!!!」と絶叫してしまった。やっぱり当分直視はできなそう。これ頒布できてた9月の己、心臓強過ぎる。後ろの4コマページが救い。
・これから
少なくとも一冊は出ると思います!!!
何故なら今原稿をやっているので…。
また即売会に出ることがあれば何卒よろしくお願いします。
他のジャンルでサークル参加しようかな…みたいな考えも無いではないが、今のところそうするつもりはあまりない。売れ線のものを描けば売れるのかもしれないが、売れることをゴールにすると苦しい…となんとなく感じつつある。なので、出したい本を出して、あわよくば人に手に取ってもらえるような本になれば…位に留めておく。
・まとめ
日頃こんなよくわからんアカウントに付き合って頂きありがとうございます…
『ぎんしお少々』舞台探訪〜上野公園編〜
世には色々なオタクがいる。単にある作品が好きと言ってもその楽しみ方は様々。絵や漫画を描いたり文章を書いたり…等々。その中でも一つ、聖地巡礼というものがある。作中で登場した実在する土地・建物へ実際に足を運んでみる…というのがその趣旨だ。
実の所、私はさほどこの聖地巡礼(舞台探訪と呼称する)を行ったことがない。理由は簡単、近所に作中で登場した舞台が無いからだ。
身も蓋も無い話をすると、大体の漫画・アニメで登場する「聖地」は東京近辺に偏っている。それは色々な事情でそうなっているのであろうが(作者の地元だとか、あるいはロケハンの手軽さとか)、ともかく地方の片田舎在住である私にとっては「聖地」とは相変わらず2次元の向こう側にあり、縁遠いものであった。
…などと割りかし他人事として捉えていたある日、絶好の機会が舞い込む。なんと所用で久々に東京へ行くことが決まったのだ。最後に東京に行ったのは2020年2月の上野のミイラ展…つまり2年半ぶりの上京である。
幸いにして用事は昼から、午前中はフリーである。となれば答えは一つ。
行くぜ、『ぎんしお少々』の舞台、上野公園に…!
とはいえ本当に久々の東京であることに加え、上野公園は国立博物館のついでで行くことはあっても散策した経験はない。流石に何も調べずに行くと取りこぼしが多数出るだろうという危惧から前日に甘露ciderさんのモーメントに目を通し(ありがとうございます)、大体何を抑えるか目星をつけ、当日を迎える─
…とその前に、舞台探訪の意義について一つ考えてみたい。私達は舞台を訪れることで何を得ることができるのだろう。
一つに、「作者が何を下地にして描いたのか」について思いを巡らす楽しみがある。
作品の下地には、その作者の趣味思想…好きな作品、好きな音楽や思い入れのある場所等、何か故あって選んだもので構成されていると考えている。そういうものを想像する瞬間にもまた、作品に眠る本質的な部分を紐解く鍵があるように私は思う。
勿論、そればかりでは単に絵の裏側を覗き見るだけの行為に過ぎないし、「この作者は〇〇が好きだからこの作品もこう読むのが正解」という態度では、むしろ作品の読み方を狭めてすらいるだろう。読者は常に多角的な視点を持って作品と向き合うべき…というのが私の一貫した姿勢である。
例を挙げると、ジョジョのスタンド名を見て「荒木飛呂彦はこんな音楽が好きなんだなあ」と思うとか、その程度の話だ。
また一つに、作品の質感を肌で感じられる点がある。「百聞は一見にしかず」と諺にもあるが、得られる情報が桁違いに多いのも魅力と言える。歩いた感触、周囲の景色、近くにどんな店があるのか…等々、実際に訪れてみないと得られない情報は多い。
自分はかつてとあるアニメの舞台になった群馬の山奥の廃校に赴いたことがあったが、その時は「アニメでは建物がもっと大きく見えたけど、実物は想像以上に小さいんだなあ」と感じたことがある。そういう作中の描写と実際に目で見て感じた印象の差を持って作品を読む時、また違った読み方ができるのではないか…と思う。
閑話休題。
話を当日に戻す。
当日の朝、名古屋駅発7時20分頃の新幹線で東京駅へ。公園には開館時間が無いため、とにかく一分一秒でも滞在時間が延ばせる方が良い…との判断から自由席券で新幹線に飛び乗る。
何度かうとうとしていたら東京駅に着いていた。実は一月前にも新幹線に乗っているので、新幹線自体は久しぶりではない。ただその時は新横浜で降りたので、東京駅は2年ぶりである。
山手線で上野へ。車内の液晶を見ながら、「ピングドラムは東京の人が作ったアニメなんだな」と思った。画面が何枚もあって同時に広告を流す光景は名古屋でも無い。地方の均一化が言われているが、それでも東京にあって地方に無いものは沢山ある。東京の車両は幅が広い。きっと平日の朝は人がこれでもかと詰められるのだろう。この小綺麗な車両が社会への恨み節で一杯なのを想像すると、都会も良いことばかりではないのだなと思うのだった。そろそろ上野に着く。
朝の9時に到着、何度か訪れたことがある懐かしの上野駅。山手線を降りて構内を歩くと相変わらず天井の低い通路だったり、ロボットの格納庫みたいなホームと見慣れた光景が続く…と思いきや。
どこから出て良いかわからないのである。
焦りながら「なんか前は『動物園はこちら』みたいなの無かったか…?」と歩き回ること数分。それらしい出口の案内を見つけるも、全く見覚えのない長い長いエスカレーターが出現。昇ると立派なエキナカまで出来ていて、完全に見知らぬ上野駅がそこにあった。
改札を出ると目の前にあったはずの駅と公園の間の横断歩道が完全に消滅し、謎のロータリーが出来あがっていた。
しばらく来ない間に一体何が…と思って記憶を掘り返してみると、確かに2年前に訪れた時に駅周辺で再開発をしていた…ような気がする。まあ確かにあの信号機と横断歩道は人通りを大幅に阻害していたとは思うが、それにしても変わり過ぎだ。久々の上京一発目から驚かされたものである。
さて探すぞ探すぞと息巻いてみるが、特に計画は無い。漠然と不忍池を目指して歩いてみる。
そこそこ広い上野公園の敷地内、不忍池はおそらく一番遠くに位置している。途中で舞台の一つである花園稲荷を見つけたり、顔だけ大仏をチラと拝んでいたりしながらぶらぶらと歩く。日曜日なのでとにかく人通りが多い…。
寛永寺に到着。境内では出店が軒を連ね、朝の準備中であった。東京は人が多いので、土日というだけで出店が成り立つのか…と感心する。でかいポリバケツにぽんぽんと卵を割り入れる親父の姿など、中々面白い光景。
不忍池。最終話の例のデッキは不忍池にあるものだと思い込んでいたので「不忍池、なんか蓮の葉まみれなんだが!?」と一瞬ギョッとするも、奥にボート池があって一安心。おそらく舞台はこちらである。
ボート池。滅茶苦茶鳩がいる。並外れて人馴れしているようで、足元をするすると歩いてすり抜けてゆく。しっかりと「餌付けをするな」と注意書きがある横で、爺さんがビニール袋片手に堂々とパン屑を池に撒いていた。あの様子ではおそらく毎日撒いているのだろう。遵法精神に乏しい…と微妙な気持ちのまま池の周りを歩き始めると、あった。最終話で銀と鈴が邂逅した、あのデッキだ。しっかりと浮き輪もついている。
そこまで広い池でもないしアヒルボートがぶかぶか浮いてるだけで大して眺め甲斐がある訳でもないが、散策して楽しいデッキではある。鳩がばさばさと飛び交い、鴨が悠々と泳ぎ、ウキの上で鷺が首をもたげている…バードウォッチングには良いかもしれない。
田舎者には上野から新宿までの距離感が分からないが、山手線の反対側なのできっと遠いのだろう…と手すりにもたれながら考える。下校途中に上野公園で黄昏れる高校生活を送りたかった…。
特に急ぐ用もないのでぐるぐると周回。
一つ気になるのが、異様に水が汚い。看板には循環装置が云々と書いてあるが、本当に働いているのかと疑いたくなるほどに汚過ぎる。地元のお堀の方が幾らかマシというものだ。
原因は色々あると思うが、まず一つに鯉の存在が挙げられるだろう。鯉は悪食で水質濾過の作用のある水草を食ってしまうと聞くが、それも一因じゃないか。加えて鯉を捕食する存在がこの池にはおそらくいないので、増えるに任せるばかりなのも良くない。通行人の無闇矢鱈な餌やりも問題だろう。いかに小さなパン屑といえど、多少は食べ残しも出る。それらは池の底で腐っていく筈であり、間違いなく水質を悪化させていく。鯉がぱくぱくと水面で口を開ける姿は愛らしいが、さりとて餌をやってはいかんのである…
…とあれこれ余計なことばかり考えていたら一周していた。自分はあまり運動が好きでは無いが、一人で適当に歩くのは好きだ。協調性が無いだけかもしれない。
パンダのポスト。騎馬像を見ていた時に発見。上野動物園前なので探す難易度はかなり低め。手前の入場列には日曜なので長い長い列が出来ていた。今回も動物園はスルー。動物園も好きだが、どうしても東京旅行では優先順位が下の方になってしまいがちだ。人が少ない時にゆっくりと周りたいものである。
東照宮前の売店。かなり年季の入った観光客向けの店で、未だに店先にフィルムが置いてある。古びた肉まん蒸し器?みたいなものもあった。一度目は「もしやこの店では」と思ったが、看板がまだ出ていなかった為通り過ぎる。池からの帰り道でもう一度寄るとこの看板を発見。正直「今も現存してるのか…?」とやや疑っていたがちゃんとあった。全てが20年前から変わらないかのような店構えだったが、常連?と思しき人が入っていたので案外何とかなっているのかもしれない。
さて、ここまでで1時間位経った。行きたいポイントは大体行ったが…一つ見当たらない。それがここ。
(きらら公式ツイッターから引っ張ってきてます)
滅茶苦茶好きなシーンだし、ここは外せん…!と科学館のあたりをふらつくがそれらしい場所は無い。一体どこなんだ…と看板を見ていると、どうも美術館のあたりがまだ行ってないので怪しい。予定へのリミットまで残り20分足らず、頼むから合っていてくれと祈りながら歩き始める。
ふらふらと美術館の裏手に回り込むと、ずばりそこだった。
おー、良かったよかった…が、「何故もゆるはこんな裏手に…?」との疑問も無くはない。
動物園の裏口であまり通学路という感じでも無いので、写真を撮りに訪れたのかもしれない。
…とここでタイムアップ、上野を後に。駅からは出勤ラッシュかと見紛うほどに人が溢れ出てきていた。全く、都会は人が多い。
・番外編 東京駅編
夕方。東京駅にて、用事を済ませてからサッと銀の鈴を抑えてフィニッシュ。てっきり改札の外にあるものかと思っていたが、改札内の地下にあった。相変わらず八重洲口とか中央口とかややこしい。実物は初めて見た。とにかく人が多いのでさっと切り上げて新幹線に飛び乗って帰宅。自由席は偉大である。
・総括
途中で意義だなんだと言ったが、単純に探すのが楽しかった。正直最初は「位置の分かるマップとか無いかな…」と思っていたが、違った。舞台探訪に関しては、はっきり場所が分からない方が楽しいのだ。初めからどこに何があると分かっていたのなら、おそらくこの楽しみは無かっただろう。やや趣旨から外れるかもしれないが、舞台探訪には「探す楽しみ」も大きいのだ…と気がつけたのは今回の大きな収穫である。
あとちょっとした旅行との親和性が高い。行程の合間、「ちょっとぶらぶらするか〜」という旅行特有の間に対して、舞台探訪というのはかなり丁度良い。目当てのポイントを探している間に寛永寺を通れたり、池の周りを周回できたりと、旅行の持つ非日常の面白さが次々見つかったりする。
「一つのエリアで複数のポイントが回収できる」「ある程度敷地が広い」「駅からのアクセスが容易」と、上野公園は舞台探訪に適した点が多いように思う。博物館前に屋台とかも出てるので、土日にゆったり遊びに行くのも良いかと(筆者は旅作でご飯を食べるのが極めてヘタクソなので、今回も案の定食べ逃してinゼリーを啜る羽目になりました)。
そんなわけで『ぎんしお少々』舞台探訪in上野公園でした。1時間ちょいで大体見て回る事ができるので、皆様も是非。
結局最終話の噴水だけ見つける事ができなかったので、またいずれリベンジしようと思う。成田にも行きたいな〜とは思うが、果たして機会があるのか…
追記 「ご飯屋さんが舞台になってたら旅先でご飯食べられるな…」と思ったが、よく考えたらぎんしおにもあるじゃん…!(遠足リベンジ時の銀と鈴が入った喫茶店) これもまた機会があったら、かなあ。
藤見銀の「また仲良くなれたり」について─『ぎんしお少々』より
・深夜のぎんしお少々語り(アルコール入り)
そもそも語るなどと烏滸がましい…というのはさておいて、ひさびさにブログでも軽く更新してみるか…などと思い立つ。思い立ったが吉日、しかも明日は休み…というわけで檸檬堂を片手に書いて見ようかと思います。
『ぎんしお少々』2巻 p.61銀は「(写真のお陰で)それで…姉と…また仲良くなれたりして…」とかなめに語ります。これは当然一巻での遠足リベンジの一枚を踏まえた発言ではあるわけですが、少し「おや?」ともなります。銀はあの一件を「姉とまた仲良くなれたり」と受け取っているのです。仲良く…という言葉を一般的に理解するのであれば、喧嘩をしていたり疎遠になっていたのであれば、この言葉選びも納得できます。しかし実際、銀は鈴と通話もしていますし、会えば親しげに抱きつかれたりもします。となると、この「また仲良くなれたり」とは私が考える「仲良く」という言葉とは別の意味で用いられていると考えられるのです。今回はこの点を考えてみたいと思います。
・変わってゆくもの、変わらないもの
1巻p.90で鈴は「ごはんを塾の子とかと食べて来て」と遅かった理由を述べ、それに対して銀は「相変わらずだなあ」と返します。結局のところ、写真の一件があるまでの銀の鈴に対する認識というのはこの点にあるのではないか、と思うのです。幼い日の銀と鈴は2人で同じ世界を見ていたのが、成長するにつれて姉である鈴の世界はどんどんと広がり、いつしか銀は「鈴と見ている世界が重ならなくなってしまったのではないか」と錯覚するようになったのではないでしょうか。鈴が銀を置いて家を出てしまったのも、銀にはそう映ったことでしょう。
この成長に伴う鈴の変化を、銀が「仲良くなれたり」の反対の意味で捉えてしまっていた…というのは十分に考えられるかと思います。銀にとっての鈴との「仲良く」が「同じ世界を共有できる」なのであれば、やはり2人で過ごした幼い日の一幕が銀と鈴が一番仲が良かった時…ということになるのでしょう。変わっていく鈴の中に、仲が良かったと銀が思っている鈴はまだ残っているのか。あるいは自分は既に大勢の内の一人に過ぎなくなってしまったのか。銀の中で幼い日の遠足リベンジの思い出が大事であればあるほどに、変わってしまった鈴の中にそれが残っているか否かという点の重みが増すのでは無いか、と思うのです。
「また仲良くなれたり」の中身に関しても少し不思議です。これは「鈴が遠足リベンジの一件を確かに覚えていた」という出来事を銀なりに言い表した言葉なのでしょうが、その前後で銀と鈴の間の関係が目に見えて変わっている描写はおそらく無いです。2人は変わらずにお風呂で通話をしていますし、直接会えば親しげに話します。何か前後で変わったことがあるか?と問われれば、やはり無いと答えざるを得ません。では何故銀は「また仲良くなれたり」と述べたのでしょうか?
難しいですが、これは銀の内面のみの心の動きなのではないか…と思うのです。以前ブログでも触れたのですが、藤見姉妹が相互に自身の感情を伝え合うことは一巻範囲ではありませんでした。相手がどう思っているのか分からないままに自分1人で悩み、そして1人で納得できる解を見つける。それを思うと、銀の「仲良くなれたり」というのには銀からの問いかけや鈴の返答は必要ないものなのでしょう。ともすれば一方通行にも見えかねない描写ではありますが、「何が銀にとって大事なのか」を突き詰めて考えると納得が行きます。
思えば前作『放課後すとりっぷ』のあかねと六花はお互いの大事にしている部分を分かり合えないことによって、表面上は親密でも内面的にはすれ違いを起こしていた関係性でした。互いに何が根底にあるのか、そして相手が大事にしている部分に(偶然でも)触れられるか否か、というのが銀の「仲良く」という言葉に凝縮されているように思うのです。
銀と鈴の場合、一枚の写真を介して偶然にも鈴が銀の大事に思っている部分に触れ、そのことを銀が好意的に受け止めることによって銀の中で「仲良く」が再び成立したと言えます。それだけで十分…というよりはそれが銀にとっては鈴との関係で一番大事な部分だったのでしょうし、銀にとっての鈴との「仲良く」とは幼い日の思い出が根底にあってこそ成立するのでしょう。
ただ、本質的な部分に触れられているから良い、触れられていないから不幸である、という描き方はされていないようにも思います。あかねと六花にしても、互いに内面ではすれ違いを起こしつつも親密に付き合っていますし、銀と鈴もそうです。表面上の親密さ、つまり関係を維持しようとする部分と内面的な部分は異なるっているのではないか、と私は考えています。
関係性を維持していく過程で相手の中にそういうものを見つけられるかもしれないし、見つけられないかもしれない。例え見つけられなくても人間関係は維持できるけれど、それでも見つけられることにはそれ特有の一つの幸せがある…そう私は捉えています。
「この人は私のことをわかっているか否か」などと直接問う機会など殆ど存在せず、大抵自分の中で勝手に相手の態度から判断してしまう。そしてその判断を元として自分は相手から好かれているとか嫌われているとかあれこれ悩んで苦しんだりする。言わば一人相撲で滑稽とも取られかねない構図ではあるのですが、翻ってみれば世の中とは大体そんな感じで回っているのです。それで一喜一憂している人を見て「愚かだ」と誰が笑えるでしょうか。一人相撲の連続こそが人間関係であり、日常なのではないか…と声を大にして言いたい…(本当か?)
原敬と近代日本─『紡ぐ乙女と大正の月』背景解説
『紡ぐ乙女と大正の月』第3巻が来たる8月26日に発売します!
というわけで、3巻冒頭でも出てくる政治家・原敬についての記事を書きました。
・「ところで、原敬って誰?」
『つむつき』二巻の終盤、原敬暗殺の一報が唯月の父の下に舞い込みます。それまで進行していた紡たちの(言ってしまうと架空の)物語の中に現実の出来事が起こることで、作品は一気に時代性を帯びていくのですが…。
…と訳知り顔で語っているのですが、初読時の感想を偽らずに言えば、
「原敬…って誰だっけ?」
でした。
何となく頭の中で「立憲政友会」とか「政党政治」みたいな単語はふんわりとあるものの、それらは一切有機的に結び付かず、従って私の中のイメージも「なんか戦前にいた政治家」程度でしかなかったのです。
というわけで、自分と同じような疑問を抱いている方に向けて原敬の紹介記事を書きました。特に日本近代の政治史における彼の立ち位置を詳らかにすべく書きましたので、ご興味ある方は読んで頂けますと嬉しいです。
第19代内閣総理大臣、原敬。平民宰相と呼ばれ、日本近代史上初めて本格的な政党内閣を成立させた人物。高校の教科書では以上のように紹介されています。では、上の事柄が歴史の流れにおいていかなる意味を持っていたのか、という点を見ていきましょう。
彼の功績をより分かりやすく理解するために、本記事では始めに明治に発布された大日本帝国憲法下での政治体制を大まかに説明し、その枠組みの中で政党内閣が成立したことの意義について語っていこうと思います。
・大日本帝国憲法下の内閣・国会
私たちが立法・行政機関とは何かと考える時、国会や内閣を想像します。戦前にも同じ名前の機関はありましたが、明治の始まりからあった訳ではありませんでした。
時は明治初期。ごく限られた人物のみで行う官僚中心の政治であった当時の政府に対し、次第に人々の中から国民の声を反映させる議会政治を求める声が上がり始めます。
そんな世論の国会開設を求める声に押され、1881(明治14)年、政府は1890年に国会を開設することを公約。1889(明治22)年には内閣や国会について規定する大日本帝国憲法が発布され、公約通り国会は開かれることとなります。
では、当時発布された大日本帝国憲法では内閣や国会はどのように規定されていたのでしょうか。
現在の日本国憲法の下では内閣・国会・裁判所はそれぞれ行政権・立法権・司法権を担い、三権分立によって政治は維持されています。立法権を持つ国会は、国民の選挙によって選出された国会議員によって構成されています。そして行政権を持つ内閣は、国会議員の中から選ばれることで国民の信任を経て任命される形をとり、内閣は国会に対して責任を負います。
しかし、大日本帝国憲法発布時の日本ではそれが異なります。内閣・国会・裁判所は同じですが、この憲法の下で築かれた国会は衆議院と貴族院の2つによって構成され、選挙によって国民から選ばれているのは衆議院議員のみでした。貴族院議員は華族・勅選議員らによって構成され、彼ら特権階級にとって不利な法案は例え衆議院を通過したとしても貴族院で落とせる仕組みになっていたのです。
(実は以前の記事で取り上げた「華族令」は、貴族院を設ける為に憲法準備の過程で出されました。『つむつき』と関係する話を挙げると、唯月の父は公爵なので貴族院議員の席が与えられています。また伯爵・子爵・男爵の家も互選、つまり持ち回りで議席が与えられました。特権階級にある彼ら華族には、国民の意志とは無関係に政治に直接参加する権利があったのです。)
そして、実際に政治を行う内閣にも問題がありました。私たちの感覚で言えば「内閣の成員は国会で多数派となった政党から選出される」のですが、当時の仕組みは異なっています。まず総理大臣は天皇によって任命されます。任命されるのは、天皇の近くにいて政治的地位のある有力者で、国民から選ばれた衆議院議員である必要はありませんでした。彼らが代わる代わる総理大臣を務め、内閣も総理大臣が都合の良い人物を選んで任命させることができたのです。
ですので、憲法によって一見立派な議会政治が成立したかのように見えますが、「国民の代表である国会とは無関係に、行政機関の内閣が組閣できる」というのが実態であったと言えるでしょう。
まとめると、当時の国会は憲法によって大幅に制限があり、内閣に対して国会が働きかけられる力が意図的に抑えられていました。国会開設の段階でこのような状況が成立していた為、国会議員らは始まりから不利な戦いを強いられていたと言えます。
・藩閥・官僚閥
では、総理大臣や内閣の各大臣に選ばれる人物…天皇の近くで政治的地位のある有力者とは誰なのでしょう。それは倒幕で大きな貢献をした藩である薩摩・長州出身者や、元々天皇と近かった公家出身の人物であり、国会開設以前から官僚政治で実権を握っていた人々でした。
彼らが組む政治グループ…藩閥・官僚閥と呼ばれる派閥によって、国会開設後も継続して日本の政治は取り仕切られていました。そこに、原敬のような旧幕府側の藩出身のような派閥に属さない人物が取り立てられる余地は無かったのです。
藩閥・官僚閥が支配的であった内閣に対し、衆議院では初期から議員らが政党を組んで影響力を強めていきますが、仕組みそのものを変えるには至りませんでした。
・民主主義への熱狂と政党内閣の成立
そのような藩閥・官僚閥体制にも変化の時が訪れます。人々の間から脱藩閥・官僚閥政治の動きが起こり始めたのです。1912(大正元)年の第一次護憲運動、1913(大正2)年の大正政変といった一連の政治運動は、政党・立憲政友会などが内閣を攻撃し、「閥族打破・憲政擁護」の声を全国に広げていった結果でした。
国民からの権力の在り方を問う民主主義を求める声は、政府にとっても無視できないものとなっていったのです。
当時、衆議院議員として政党・立憲政友会の総裁の地位にあった原敬は巧みに立ち回り、1917(大正6)年には寺内内閣の大臣のポストに就任。米騒動の影響で寺内内閣が解散すると、その後任として総理大臣に収まりました。原の総理就任には上のような脱閥族の運動も後押しとなり、反政党政治派であった元老の山県有朋が認めたことで、1918(大正7)年、大臣のほぼ全員が政党の議員からなる政党内閣の組閣がなされたのです。
初の本格的な政党内閣と言っても従来の仕組みと変わらず、天皇によって原敬が総理大臣に任命され、そして原によって各大臣が選ばれることで原内閣は組閣されます。その点で言えば原内閣はあくまで大日本帝国憲法の規定の下で成立した政党内閣であり、原が法や制度の改革を行うことによって成し得た結果という訳ではありませんでした。それでもほぼ政党に所属する議員のみで構成された内閣には違いなく、成し遂げられたのもひとえに原の政治的手腕の賜物でしょう。
原が志望していたのは、形式的ではなく実質的な立憲君主制でした。天皇を頂点とし、国民の参加する議会が憲法で認められている政治体制です。それは、藩閥のような仲間内の政治…国民の手の届かない場所で行われる政治ではありません。
近代以前からの地位を引き継ぐ華族でもなければ、薩長のように維新の功績がある訳でもない人間が総理大臣となり、政党の力で政治の主導権を握る。長く続いた藩閥・官僚閥の時代から、国民から選ばれた議員による政党政治へ。その初めの一歩を踏み出した事こそが、原敬という人物の歴史的な功績ではないかと思うのです。
それは、原に与えられた平民宰相という名前からも見て取れます。当時の人々も、華族や派閥といった既得権益と無縁の人物が首相になることを歓迎していたのです。
一方で、原内閣を「民主主義への一歩だ」と手放しで評価してしまうのも早計でしょう。政治的な力が既存の勢力、藩閥・官僚閥から政党に移行したことは確かに快挙ではありますが、実際のところ議席数という形で立憲政友会という一党に、ひいては原内閣に圧倒的な力が移っただけとも言えるからです。議会で国民の声を届け、政治に反映させるという民主主義の理想から考えれば、一つの党が議席数で議論を封殺してしまっていた原内閣には「独裁」という批判が当てはまるのもまた事実です。
しばしば原の政治的な立ち位置は「漸次的」と言われます。「漸次」とは段々と目指していく…そのような意味合いで用いられますが、悪く言えば「今すぐにはやらない」です。
第一次護憲運動や大正政変で運動を起こした人々が求めるものとは民主主義的な政治であり、彼らの一致した目標は「国民全員に選挙権が与えられる普通選挙の実現」でした。当時の選挙は多額の税金を納めた男子にのみ認められた制限選挙であり、選挙権があったのは全人口の1%強に過ぎません。その制限を取り払うことこそが人々の求める権利だったのです。*1
当然、原の政党内閣の成立にも彼らの普通選挙実現の期待が込められていたことは言うまでもありません。ですが、原自身は先も述べたような漸次的な姿勢であり、普通選挙の実現にも「時期尚早」であるとして消極的でした。
実際、1920(大正6)年に起きた普通選挙を求める大規模な運動を背景として、野党の憲政会は普通選挙法案を国会に提出します。しかし原政権はこれを「時期尚早」として審議を拒否し、衆議院を解散。総選挙で原の立憲政友会は圧勝し、結果として原内閣では普通選挙法案は実現しませんでした。
いずれにせよ、当時の人々の求める民主主義的な政治と原政権の漸次的な姿勢にはやはり距離があったと言わざるを得ないでしょう。
政治家としての原を評価すると、よく言えば堅実で実行力がある政治家、悪く言えば保守的で急進を嫌う性質を持つ政治家と言ったところでしょうか。
しかし原の政党内閣の成立は当時の人々の民主主義を求める声の影響でもあったことは間違いなく、歴史の上から見ても意義深いものであると私は思います。
この記事では政党内閣という観点のみに焦点を合わせて話しました。勿論、原の出自や外交官・大臣時代の経験、原内閣の行った政策等、原敬について語るトピックスは数多くあります。今回はそのほんの一例に過ぎませんので、興味のある方は是非調べてみてください。
(作者の方の原敬暗殺事件についての記事も紹介させて頂きます。一つの事件について複数の資料から多角的に考察されており、歴史好きも必読です。)
(憲法や国会については上の本を参考にしました。今回は直接関係のない箇所は取り上げませんでしたが、調べていくと面白いのでおすすめです。)