覚え書き

色々書く予定

『ぎんしお少々』舞台探訪〜上野公園編〜

 

 世には色々なオタクがいる。単にある作品が好きと言ってもその楽しみ方は様々。絵や漫画を描いたり文章を書いたり等々。その中でも一つ、聖地巡礼というものがある。作中で登場した実在する土地・建物へ実際に足を運んでみるというのがその趣旨だ。

 

 実の所、私はさほどこの聖地巡礼(舞台探訪と呼称する)を行ったことがない。理由は簡単、近所に作中で登場した舞台が無いからだ。

 身も蓋も無い話をすると、大体の漫画・アニメで登場する「聖地」は東京近辺に偏っている。それは色々な事情でそうなっているのであろうが(作者の地元だとか、あるいはロケハンの手軽さとか)、ともかく地方の片田舎在住である私にとっては「聖地」とは相変わらず2次元の向こう側にあり、縁遠いものであった。

 などと割りかし他人事として捉えていたある日、絶好の機会が舞い込む。なんと所用で久々に東京へ行くことが決まったのだ。最後に東京に行ったのは20202月の上野のミイラ展つまり2年半ぶりの上京である。

 幸いにして用事は昼から、午前中はフリーである。となれば答えは一つ。

 

 

 行くぜ、『ぎんしお少々』の舞台、上野公園に

 

 

 とはいえ本当に久々の東京であることに加え、上野公園は国立博物館のついでで行くことはあっても散策した経験はない。流石に何も調べずに行くと取りこぼしが多数出るだろうという危惧から前日に甘露ciderさんのモーメントに目を通し(ありがとうございます)、大体何を抑えるか目星をつけ、当日を迎える─

 

 

 とその前に、舞台探訪の意義について一つ考えてみたい。私達は舞台を訪れることで何を得ることができるのだろう。

 

一つに、「作者が何を下地にして描いたのか」について思いを巡らす楽しみがある。

 作品の下地には、その作者の趣味思想好きな作品、好きな音楽や思い入れのある場所等、何か故あって選んだもので構成されていると考えている。そういうものを想像する瞬間にもまた、作品に眠る本質的な部分を紐解く鍵があるように私は思う。

 勿論、そればかりでは単に絵の裏側を覗き見るだけの行為に過ぎないし、「この作者は〇〇が好きだからこの作品もこう読むのが正解」という態度では、むしろ作品の読み方を狭めてすらいるだろう。読者は常に多角的な視点を持って作品と向き合うべきというのが私の一貫した姿勢である。

 例を挙げると、ジョジョのスタンド名を見て「荒木飛呂彦はこんな音楽が好きなんだなあ」と思うとか、その程度の話だ。

 

 また一つに、作品の質感を肌で感じられる点がある。「百聞は一見にしかず」と諺にもあるが、得られる情報が桁違いに多いのも魅力と言える。歩いた感触、周囲の景色、近くにどんな店があるのか等々、実際に訪れてみないと得られない情報は多い。

 自分はかつてとあるアニメの舞台になった群馬の山奥の廃校に赴いたことがあったが、その時は「アニメでは建物がもっと大きく見えたけど、実物は想像以上に小さいんだなあ」と感じたことがある。そういう作中の描写と実際に目で見て感じた印象の差を持って作品を読む時、また違った読み方ができるのではないかと思う。

 

閑話休題

話を当日に戻す。

 

 当日の朝、名古屋駅発7時20分頃の新幹線で東京駅へ。公園には開館時間が無いため、とにかく一分一秒でも滞在時間が延ばせる方が良いとの判断から自由席券で新幹線に飛び乗る。 

 何度かうとうとしていたら東京駅に着いていた。実は一月前にも新幹線に乗っているので、新幹線自体は久しぶりではない。ただその時は新横浜で降りたので、東京駅は2年ぶりである。

 山手線で上野へ。車内の液晶を見ながら、「ピングドラムは東京の人が作ったアニメなんだな」と思った。画面が何枚もあって同時に広告を流す光景は名古屋でも無い。地方の均一化が言われているが、それでも東京にあって地方に無いものは沢山ある。東京の車両は幅が広い。きっと平日の朝は人がこれでもかと詰められるのだろう。この小綺麗な車両が社会への恨み節で一杯なのを想像すると、都会も良いことばかりではないのだなと思うのだった。そろそろ上野に着く。

上野駅構内、低い天井。

 

 朝の9時に到着、何度か訪れたことがある懐かしの上野駅。山手線を降りて構内を歩くと相変わらず天井の低い通路だったり、ロボットの格納庫みたいなホームと見慣れた光景が続くと思いきや。

 

 どこから出て良いかわからないのである。

 

 焦りながら「なんか前は『動物園はこちら』みたいなの無かったか?」と歩き回ること数分。それらしい出口の案内を見つけるも、全く見覚えのない長い長いエスカレーターが出現。昇ると立派なエキナカまで出来ていて、完全に見知らぬ上野駅がそこにあった。

 改札を出ると目の前にあったはずの駅と公園の間の横断歩道が完全に消滅し、謎のロータリーが出来あがっていた。

 しばらく来ない間に一体何がと思って記憶を掘り返してみると、確かに2年前に訪れた時に駅周辺で再開発をしていたような気がする。まあ確かにあの信号機と横断歩道は人通りを大幅に阻害していたとは思うが、それにしても変わり過ぎだ。久々の上京一発目から驚かされたものである。

 

見慣れぬロータリー。前は信号と横断歩道があって、よく募金を呼びかける人が立っていた。

駅から見えるスカイツリー。後日写真を確認したら下の建物に「高校」と書いてあることに気がつく。ここ…なのか?



 さて探すぞ探すぞと息巻いてみるが、特に計画は無い。漠然と不忍池を目指して歩いてみる。

 

 

交番。すぐに見つかる

 

 そこそこ広い上野公園の敷地内、不忍池はおそらく一番遠くに位置している。途中で舞台の一つである花園稲荷を見つけたり、顔だけ大仏をチラと拝んでいたりしながらぶらぶらと歩く。日曜日なのでとにかく人通りが多い

花園稲荷神社。途中で偶然発見。

 

 

 寛永寺に到着。境内では出店が軒を連ね、朝の準備中であった。東京は人が多いので、土日というだけで出店が成り立つのかと感心する。でかいポリバケツにぽんぽんと卵を割り入れる親父の姿など、中々面白い光景。

 不忍池。最終話の例のデッキは不忍池にあるものだと思い込んでいたので「不忍池、なんか蓮の葉まみれなんだが!?」と一瞬ギョッとするも、奥にボート池があって一安心。おそらく舞台はこちらである。

 

 ボート池。滅茶苦茶鳩がいる。並外れて人馴れしているようで、足元をするすると歩いてすり抜けてゆく。しっかりと「餌付けをするな」と注意書きがある横で、爺さんがビニール袋片手に堂々とパン屑を池に撒いていた。あの様子ではおそらく毎日撒いているのだろう。遵法精神に乏しいと微妙な気持ちのまま池の周りを歩き始めると、あった。最終話で銀と鈴が邂逅した、あのデッキだ。しっかりと浮き輪もついている。

デッキ。てっきり桟橋のようなものかと思っていたが、実際は遊歩道の一部だった。

最終話っぽいアングルで。奥のフロートに鷺が一羽とまっている。

 

 そこまで広い池でもないしアヒルボートがぶかぶか浮いてるだけで大して眺め甲斐がある訳でもないが、散策して楽しいデッキではある。鳩がばさばさと飛び交い、鴨が悠々と泳ぎ、ウキの上で鷺が首をもたげているバードウォッチングには良いかもしれない。

 田舎者には上野から新宿までの距離感が分からないが、山手線の反対側なのできっと遠いのだろうと手すりにもたれながら考える。下校途中に上野公園で黄昏れる高校生活を送りたかった

 

眺めはこんな感じ。奥でずらりと並ぶあひる軍団。

 

 特に急ぐ用もないのでぐるぐると周回。

 

 一つ気になるのが、異様に水が汚い。看板には循環装置が云々と書いてあるが、本当に働いているのかと疑いたくなるほどに汚過ぎる。地元のお堀の方が幾らかマシというものだ。

 原因は色々あると思うが、まず一つに鯉の存在が挙げられるだろう。鯉は悪食で水質濾過の作用のある水草を食ってしまうと聞くが、それも一因じゃないか。加えて鯉を捕食する存在がこの池にはおそらくいないので、増えるに任せるばかりなのも良くない。通行人の無闇矢鱈な餌やりも問題だろう。いかに小さなパン屑といえど、多少は食べ残しも出る。それらは池の底で腐っていく筈であり、間違いなく水質を悪化させていく。鯉がぱくぱくと水面で口を開ける姿は愛らしいが、さりとて餌をやってはいかんのである…

 

鯉。老も若きもパン屑を与えるせいで、すっかり人に慣れきっている。

 

 とあれこれ余計なことばかり考えていたら一周していた。自分はあまり運動が好きでは無いが、一人で適当に歩くのは好きだ。協調性が無いだけかもしれない。

 

 

 

 パンダのポスト。騎馬像を見ていた時に発見。上野動物園前なので探す難易度はかなり低め。手前の入場列には日曜なので長い長い列が出来ていた。今回も動物園はスルー。動物園も好きだが、どうしても東京旅行では優先順位が下の方になってしまいがちだ。人が少ない時にゆっくりと周りたいものである。

 

 

 東照宮前の売店。かなり年季の入った観光客向けの店で、未だに店先にフィルムが置いてある。古びた肉まん蒸し器?みたいなものもあった。一度目は「もしやこの店では」と思ったが、看板がまだ出ていなかった為通り過ぎる。池からの帰り道でもう一度寄るとこの看板を発見。正直「今も現存してるのか?」とやや疑っていたがちゃんとあった。全てが20年前から変わらないかのような店構えだったが、常連?と思しき人が入っていたので案外何とかなっているのかもしれない。

 

 さて、ここまでで1時間位経った。行きたいポイントは大体行ったが一つ見当たらない。それがここ。

 

(きらら公式ツイッターから引っ張ってきてます)

 滅茶苦茶好きなシーンだし、ここは外せん!と科学館のあたりをふらつくがそれらしい場所は無い。一体どこなんだと看板を見ていると、どうも美術館のあたりがまだ行ってないので怪しい。予定へのリミットまで残り20分足らず、頼むから合っていてくれと祈りながら歩き始める。

 

 ふらふらと美術館の裏手に回り込むと、ずばりそこだった。

正体は美術館と動物園の狭間だった



 おー、良かったよかったが、「何故もゆるはこんな裏手に?」との疑問も無くはない。

 動物園の裏口であまり通学路という感じでも無いので、写真を撮りに訪れたのかもしれない。

 

 

 

 …とここでタイムアップ、上野を後に。駅からは出勤ラッシュかと見紛うほどに人が溢れ出てきていた。全く、都会は人が多い。

 

 

 

・番外編 東京駅編

鈴というか鐘…な印象

 夕方。東京駅にて、用事を済ませてからサッと銀の鈴を抑えてフィニッシュ。てっきり改札の外にあるものかと思っていたが、改札内の地下にあった。相変わらず八重洲口とか中央口とかややこしい。実物は初めて見た。とにかく人が多いのでさっと切り上げて新幹線に飛び乗って帰宅。自由席は偉大である。

 

 

・総括

 途中で意義だなんだと言ったが、単純に探すのが楽しかった。正直最初は「位置の分かるマップとか無いかな」と思っていたが、違った。舞台探訪に関しては、はっきり場所が分からない方が楽しいのだ。初めからどこに何があると分かっていたのなら、おそらくこの楽しみは無かっただろう。やや趣旨から外れるかもしれないが、舞台探訪には「探す楽しみ」も大きいのだと気がつけたのは今回の大きな収穫である。

 あとちょっとした旅行との親和性が高い。行程の合間、「ちょっとぶらぶらするか〜」という旅行特有の間に対して、舞台探訪というのはかなり丁度良い。目当てのポイントを探している間に寛永寺を通れたり、池の周りを周回できたりと、旅行の持つ非日常の面白さが次々見つかったりする。

 

 「一つのエリアで複数のポイントが回収できる」「ある程度敷地が広い」「駅からのアクセスが容易」と、上野公園は舞台探訪に適した点が多いように思う。博物館前に屋台とかも出てるので、土日にゆったり遊びに行くのも良いかと(筆者は旅作でご飯を食べるのが極めてヘタクソなので、今回も案の定食べ逃してinゼリーを啜る羽目になりました)

 

 

 

 そんなわけで『ぎんしお少々』舞台探訪in上野公園でした。1時間ちょいで大体見て回る事ができるので、皆様も是非。

 

 結局最終話の噴水だけ見つける事ができなかったので、またいずれリベンジしようと思う。成田にも行きたいな〜とは思うが、果たして機会があるのか

 

 追記 「ご飯屋さんが舞台になってたら旅先でご飯食べられるな」と思ったが、よく考えたらぎんしおにもあるじゃん(遠足リベンジ時の銀と鈴が入った喫茶店)  これもまた機会があったら、かなあ。