覚え書き

色々書く予定

『グッバイ、ドン・グリーズ!』『麻希のいる世界』感想

あらすじを書くのは好きじゃないので、書かない。ただ思ったことだけを書く。

評論、というのも好きじゃないので、ただ勝手な感想である。

『グッバイ、ドン・グリーズ!』

スパイダーマン以来の映画…かな?よりもいが好きなので、その義理で観に行く。前情報ほぼ無し。

・面白くなかった
ポイントが貯まっていたので、無料で観てきた。正直、無料で助かった。自分はよりもいがかなり好きだったので、少々難のある評が耳に入ってはいたが覚悟を決めて観に行ってしまった。見に行かなかった方が良かったのかもしれない。
・面白くなる未来が見えない
冒険、結構。青春、結構。しかし、それで出てくるのが「山の中に落ちたドローン探して身の潔白を証明する」なのはどうなんだよ。いくらなんでも目的が後ろ向き過ぎる。作り手はもしかするとスタンドバイミーみたいなのをイメージして書いたのかもしれないが、だとしたら的外れだろ。あと単純にずっと山奥の絵が続くのは見ていて飽きる。アニメは実写に対して情報量で圧倒的に劣る、という事実を悪い意味で思い知った。おそらく、山歩きパートにしても実写でやった方が多少は間が持っただろう。とにかく退屈だった。アニメで出来ることと山歩きは絶望的に噛み合わないことを気づかせてくれてありがとう。よりもい見てどっか行きたくなるのは分かるけど、これ見て山歩きしたいとは思わないんだわ。スタート地点がこれだと、まあ辿り着く場所も小さく収まるわな、という嫌な納得があった。
・キャラクターの描写が浅い。
とにかく薄っぺらく、何にも共感できない。医者志望の男にしても、「東京でちっぽけと思い知った」のなら、具体的な描写を挟んでくれ。全てを言葉で説明しようとするから、ただただ上滑りして何も感じない。そうじゃなかっただろ。よりもいだって、しらせが万札数えたりしてただろ。
・唐突
ドロップが死ぬとか死なないとか、アイルランドがどうとか、全てが取ってつけたような感じがする。そもそも二人とドロップは割と付き合いが浅いって話だっただろ。なんかそれも取ってつけたような関係で嫌だった。死ぬとか死なないとかで話を引っ張らせるな。終盤でドロップが付き合わせてごめんとか抜かし始めて、あまりのどうでも良さに心の中で深くため息が出た。し、知らねえ。まずお前に全然好感を抱けてねえ。お前が何を考えて行動しているのか全く理解出来ない。キャラクターとして成立してるのかすら怪しい。
その点で言えば、カメラの女の子で話を回してもらった方が絶対良かった。そういう前向きな…人生を前進させるような動機が良かった。悪い意味で人生を前進させようという気概が何も感じられなかった。ドローン探しにしても、参考書燃やす眼鏡にしても、カメラいじる主人公にしても、思い出作りのドロップにしても。だから、何?肯定したいのなら、人生を書いて欲しかった。参考書燃やすなら、燃やした後の話が見たかった。インスタのその後が見たかった。あの山歩きから彼らの人生は続いているというのなら、それを見せて欲しかった。また東京の高校で喰らいつく姿とか、農業を見直して笑われようと堆肥をいじる姿とか。それも無しにいきなりアイルランドの話をされても、「で、その旅費はどうしたんだ?」「大学行ったのか?農家継いだのか?」という冷めた感想しか出てこない。よりもいで描いた冒険ってのはそういう事だったじゃん!
・冒険ってなんだ。
辺境ライターの高野秀行は、「誰も行ったことのない場所に行き、誰もやったことのないことをする」と言っていた。言葉通り、彼はミャンマーのアヘン生産地に不法入国して彼らの暮らしに密着もするし、国家として成立しているのかも不明なソマリランドへと単身乗り込み、現地で調査を行なったりする。彼の本をそこそこ読んできた自分からしても、冒険とはそういうものだと思う。普段生きていて、絶対に有り得ない場所へと旅立ってゆく。そういう非現実的なスリルを、彼の本からいつも沢山味わってきた。それに比べて、この映画はどうだろう。「アイルランドの滝に電話ボックス云々」にしても「ドローン探し」にしても、あまりにぼんやりとしている。イエティやネッシーみたいな未確認生物を大真面目に探すというのなら面白い。でも、電話ボックスで電話が云々というのは、なんかその辺の神社の縁結び位の話のスケール感しか感じられないし、未確認生物を探すほどの馬鹿馬鹿しさもない。ドローンに至っては前述した通りである。君らが考える冒険って、そんななのか。呆れるような規模のデカさもなければ、誰もが聞いたら笑ってしまうような馬鹿馬鹿しさもない。これは半ばイチャモンだが、自分はこの映画にコロナ禍で鬱屈とした現実を笑って吹き飛ばしてくれるような、そんなスケールのデカさと馬鹿馬鹿しさを期待していた。結果としては、なんだか薄っぺらい、口先だけのふらふらとした山歩きに終始していたし、終盤のアイルランドにしても、やはりその過程が全然描かれていないので全く面白味が無かった。別に電話ボックスなんて見つけなくてもいいんだよ。電話が鳴らなくてもいいんだよ。そんなもの無くたって、冒険は成立するだろ。よりもいだって、言っちゃえば南極に行くだけだよ。それでも、南極に行くといえば凄くスケールのデカさを感じるし、同時に行けるわけねえだろという馬鹿馬鹿しさがある。そんな冒険が欲しかった。毎日同じ行先の電車に乗って、代わり映えのしない生活を送る観客に見せるのが、そんなせせこましい話で本当に良いと思ってるのか。映画の中でくらい、思いっきり旅に出たかった。
・理由が必要なこと
行動するのに、理由が必要なのだろうか。自分が今こうしている事に何か理由があったかと言われると無いし、結果としてここにたどり着いている。冒険も、そういう物なんじゃ無いかなと思う。冒険が始まり終わっても、人生はずっと続いていく。自分がよりもいから受け取ったのはそういうメッセージだと思っていたのだが、参考書燃やし始めてから大分疑うようになった。お前が今から東京の高校辞めて田舎帰ってなんかするってのなら、良い。でもそうじゃ無いんだろ。こいつらが今後人生を歩んでいく姿が悪い意味で全く想像出来ない。

・疲れた
面白くないということをわざわざ思い出して書くのは非常に苦痛だし、面白くない。これが誰かと愚痴り合いながらなら、楽しかっただろう。でも実際、この映画への終わりなき呪詛で自家中毒を起こし始めている。正直、あのカメラの女の子とのドラマが軸であったのなら、どれほど見易かっただろうかと嘆かずにはいられない。この支離滅裂な青春っぽい映画で、あの女の子だけが唯一希望であったのと同時に、何故そこに行かなかったのかという勿体なさが後から後から湧いてくる。

何だかわからないまま映画は終わり、?で一杯の脳を抱えて劇場を後にした。時々はつまらない映画を観るのも悪くない。金を払わずに観るのならなお良い。

 

『麻希のいる世界』

ドングリーズを観終わってから、かなり疲弊した状態での2本目。少し離れた場所にある小さな映画館に、ほんの一週間前まで毎日乗っていた電車で移動。2時間ばかり間があったので、喫茶店でコーヒーを飲んだり書店を冷やかしたりしつつ時間まで待つ。詩歌の本ばかり並ぶ書店など、ブックオフしかない田舎からしてみれば全く素晴らしい。都会は文化的で羨ましい限りである。観客は10人ちょい位であった。

・映画が上手い。
映画の上手さとは、多分脚本が良いとかそんな事じゃ無い、と思った。まず、常に画面が絵になっている。二人でボーリングの球を磨く場面でも、二人乗りをする場面でも。ただ役者が並んでいる画面にも、それ以上の情報を与える、というのが構図の美しさで有り、映画の上手さであると思う。その意味では、この映画はとてつもなく上手かった。映画だった。伏線がどうとか言わなくても、場面の連続と構図だけで成立するんだなということを教えてくれた。
・役者の力
そこに立っている、歩いている、見ている。そういう所作全てが演技で、世界に人物を成立させている。ああ、これが役者の力なんだな、と思った。力強くも破滅的な彼らを見ると、どうしても壊れそうな美しさを見てしまう。
・結局 
面白い、と言うよりかは画面に美しさを見たように思う。一流の芸術は悲劇というが、全く同感である。全てが思い通りに行かず、醜く足掻き、失い、ようやく掴んだと思ったものすら呆気なく滑り落ちてゆく。その姿に、カタルシスを覚えるのだな、と思った。

・恋愛のはなし
流れてきた「武蔵野美術大学漫研OB」なるものの会話。「恋愛ってスパイスにはならんよな、物語を暴力的にドライブさせはじめて、それ以外の要素を彼方に追いやるから」
この言をまともに受けるのならば、この映画はまさしく恋愛しかない。いや、恋愛と呼ぶことすら躊躇われる。ただ内から噴き出す執着を、それぞれの人間が爆発させ続ける。そういう映画であった。社会は、そういう爆発では回っていない。けれど、人間からそういう爆発を抜いたら何が残るのだろう?というのは常々疑問に思う。爆発によって物事が上手く回転することもあるだろう。ハッピーエンド、というのはつまり爆発が良い方向へ作用した結果である。この映画では、全く作用しなかった結果である。火山が大噴火した位の爆発がどんどん起きるのに、全ては望む方へ転がらない。言えば、悲劇である。主人公にしても、麻希の為に全てを投げ打ち、ただ会いたいと願って盗んだ自転車を漕ぐ。そうまでしても、「男のことで揉めてんだよね」という無情な一言を叩きつけられ、映画は終わる。最初、これは美しい悲劇だと思った。パンフレットを買って読むと、役者は「嬉し涙だと思います」と書いてある。なるほど。どうにも理解ができずにうんうんと唸っていたが、これを書きながら納得した。つまり、起こった出来事を並べれば悲劇なのだが、当人にとっては全てを爆発させた結末なのである。何の悔いもない、その過程を完璧に走り抜けたのである。確かに、そう考えれば幸せな終わりである。
今、納得できた。
 社会と情動というのは、時に…というかかなりの場合相反する。再婚なんてしない方がよかったし、好きにならない方がよかった。義理の兄妹として仲良くすれば良かった。静かに、黙って、作り笑顔を浮かべて、そうすれば良かった。けれど、そうしなかった。情動というのは、そういうものだと思う。
 パンフレットを読むと、監督は「コロナ禍で生きている実感が無かった中で作った」と書いてある。なるほど。彼女らは生きている。そういう美しい映画だった。

・詩歌に近い?
かなりコミティア的な…(コミティア行った事ないのに!)。

帰りには雪が降っていた。

以上。書こうと思えばいくらでも書けそうなので、気が向いたら追記をする。